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スタートボタンを、また君と。

第3章:歯車

「40万」の通知と「20万」の現実。少しずつズレていく人生の歯車。

働き始めて、すぐのことだった。 報酬は、月20万。 契約時にそう聞いていた。 特別高くもないが、条件としては納得していた。 初日。 人事から、一枚の紙を渡された。 「報酬額通知書」 そこに書かれていた金額は―― 40万。 一瞬、理解が追いつかなかった。 ……あれ? 20万じゃなかったか。 紙を見直す。 もう一度見る。 やっぱり、40万だった。 評価されたんだな。 今までの経験。 ITサポートとしてやってきたこと。 それが認められたんだと、そう思った。 だったら―― 期待に応えないとな。 勤務地は、当初聞いていた場所より遠かった。 でも、納得した。 これだけもらえるなら、と。 通勤時間も、気にならなかった。 そして、給料日。 振り込まれた金額は―― 20万。 ……は? 通帳を見て、固まった。 もう一度、確認する。 やっぱり、20万だった。 すぐに人事に確認した。 報酬額通知書を見せる。 「これ、40万って書いてありますよね?」 人事は紙を見て、言った。 「申し訳ありません。こちらの誤記です」 謝罪は、あった。 でも―― 金は、変わらなかった。 説明も、それ以上はなかった。 詫びだけ。 そういうもんか。 怒りは、あった。 当然だ。 でも――全部、飲み込んだ。 仕方ないか、と。 そうやって、処理した。 それが、よくなかった。 それから、少しずつ違和感は増えていった。 勤務地が変わる。 最初より、遠くなる。 さらに変わる。 また、遠くなる。 あれ? 最初に聞いていた話と、違う。 でも、その都度、理由はあった。 「人手が足りなくて」 「こっちのほうが助かるから」 「しばらくだけだから」 全部、理解はできた。 だから、断らなかった。 まあ、いいか、と。 そうやって、ズレを飲み込んでいった。 通勤時間は、伸びていった。 身体への負担も、増えていった。 透析とのバランスも、少しずつ崩れていく。 ある日、窓の外に東京タワーが見えた。 ああ、こんなところまで来たのか。 本来なら、少しは感動してもいい景色だった。 でも――何も感じなかった。 ただ、遠くに来たという事実だけがあった。 気づけば、最初の条件とは、別の場所にいた。 会社も、何も言わない。 自分も、何も言わない。 止めるものが、なかった。 怒りは、消えていなかった。 溜まっていた。 でも、出さなかった。 その代わりに―― 内側へ、落ちていった。 ぽた。 ぽた。 黒いものが、心のどこかに、静かに落ちていく。 最初は、小さかった。 でも、止まらない。 ぽた。 ぽた。 気づけば、内側が少しずつ、黒くなっていた。 でも、その時はまだ―― 気づいていなかった。
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